NICUでの障害宣告 無呼吸発作

息子の病気のことについて書きます。

この前、久しぶりに書こうと思ったら、

忘れてて、備忘録に。

 

息子はもう産まれると言われてから

なかなか産まれませんでした。

それでも、生まれるまで

トータル21時間ぐらいなので

初産の平均ぐらいだそうで、

ここは問題ないとか。

 

産んだのが夜の2時で、

その後2時間後ぐらいに

息子の顔が土色になっているのに

気が付きました。

まだ、分娩室にいたときです。

看護師さんに伝えて、

ドアを開けるとすっとピンクに戻って

暑かったのかなーって言ったりしました。

 

その後、私がトイレに行きたいと言い

息子は預かってもらえました。

トイレから帰るとまた息子を

連れてきてくれて、

そのとき、酸素のホースみたいなのを

横においてくれてました。

しばらく眺めたり写真を撮ったり

まさに最高の時間でした。

旦那は疲れ果てて始発がくるまで

どこにも行けないので椅子に座って

眠りだしました。

 

そして、6時くらいに

息子を見ると

「また、土色!」

急いでナースコールを押して、

看護師さんにつげると、

そのままNに連れて行かれました。

Nは隣でした。

そして、Nの先生が来て

「呼吸が、うまくできてないみたい。

赤ちゃんにはよくある」

みたいなことを言ったので

よろしくお願いしますと告げて

仮眠しました。

 

面会は11時からだったので、

向かうと、マスクをつけられて、

コードも繋がれてました。

 

たぶん大丈夫と思い、その日は

眠りましたが、

次の日状況は変わってました。

 

向かうと、お母さんしばらく

待っていてくださいと

すぐに息子には会えませんでした。

 

その後先生が来て、

無呼吸の回数が多すぎる。

1時間に何回も起こすのは

赤ちゃんによくあることではない。

検査結果を言いたいので

お父さんをすぐ呼んでくださいと

言われました。

 

ただ事ではないと思い、

旦那にタクシーで来てもらいました。

 

そして、

硬膜下出血を起こしていること

おそらく痙攣を起こしていることを

告げられました。

 

ただ、新生児の硬膜下出血は

大人のとは違い

脳がまだ浮いているので

血に押されても、大きく影響しないのでは?

という見解でもありました。

 

ただ、無呼吸の痙攣が薬で

抑えられないので、まずいのと

回数が多すぎること。

無呼吸を止めるために薬を入れているが

一向に止まらない。

子どもには使わない。

強い薬を入れたいと言われました。

 

このとき、色んなことを

ネットで検索しました。

健常に育つことは

なさそうなことが書いてました。

なぜこの子は、産まれてきたのかなと

思いました。

私は息子をそのときとても重荷に感じて

自然の摂理どおりにしてほしい、

変に生かさないでほしいとも

旦那に告げたはずです。

 

そして、7日目私が退院するときに

先生から話がある

と言って現状を聞きました。

「痙攣が止まりませんを

この子は、おそらく障害が残ります。

身体障害か知的障害か、

それはわかりません」と

言いました。

ネットで、障害は基本的には

生まれてから早く分かれば分かるだけ重いと

書いてありました。

最重度なのかと思いました。

せめて、ママと言ってほしい。

歩けなくてもいいからと思いました。

 

私はその日は、泣きませんでした。

自分をもう一人の自分が操って、

周りに心配をかけないように

演じているかのようでした。

 

でも、その翌日からはだめでした。

私だけ退院したので、

家に帰っているのですが、

涙が止まらなくて、

毎日寝れずに睡眠導入剤を飲んでました。

 

ある日夢を見ました。

ドアを叩くおじさんに

開けろと言われて

怖くて怯えていると

郵便受けを開けられて

「お前の子どもは○○○だ

(ひどい発言なので伏せます)」と

言われました。

○○○だと思っているのは

私の深層心理だと思うと

そう思っているのかもしれないと、

思いました。

 

そして、怖くて眠れなくなりました。 

産科で睡眠導入剤をたくさん

もらっていたのですが、

薬が切れる恐怖にかられた私は、

なくなるまでに

精神科にいかなくてはと

気もそぞろで、いてもたっても

いられなくなりました。

急いで予約をして

何かありましたかと受付の方に聞かれても

「障害のある子が生まれた」とは

言えず

「生まれたけど、子が入院した」と

言いました。

でも受付の方の方はすぐ察してくれて

一番近い予約を探してくれました。

 

その後、息子の病院に行くのは辞めようとして

このままひきとってもらえないよな

とか思ったと思います。

1日だけスキップしたけど、

その次の日とてもとても気になって、

もしかしたらよくなっているかもとか

ありえない期待をして

結局行きました。

でも、10分で泣きながら帰りました。

看護師長から電話がかかってきて

「育てられない」と言いました。

 

でも、結局次の日も行きました。

みんなが、腫れ物に触るみたいに

扱ってるのは痛感しましたが

なりふりかまってる感じではなかった。

 

ただ、子を見てると

とても可愛くて。

この子で仕方ないので(ひどい)、

やはり育てようとと思いました。

 

その後、色んなネットを見てしまうのを

止めたくて、

スマホを捨てようとしましたが

できず、そんなとき

似たような感じで生まれて

痙攣を起こしたものの

問題なく育っている子のBlogを見て、

やはり諦められないと思いました。

 

とにかく、リハビリとか全部

やってやると思い、

脳の本とか読みました。

結局障害受容なんて1ミリもできてないのです。

 

その後、だんだん

体についたコードが取れていったものの

脳波はずっとついてました。

ずっと脳波画面を見たけど、

何が悪いのかわかりませんでした。

でも、先生は興奮の波がでてるみたい

と言ってました。

 

その後、入院してから、

4週間後の退院前の面談で知るのですが、

脳波は入院10日後から

薬がきいているのかわからないが

キレイになっている

無呼吸にもなってない

この子は、お薬を早くやめれるかも

しれないと言われました。

 

脳波が、きれいになっているか

聞かなかったのも悪いのかもなのですが

なぜ言われなかったのか😥

 

あとで知るのですが、

新生児科の先生では、

脳波とかちゃんと見れないらしいです。

そして、神経科の先生に、

初診で会ったとき、

この子の脳派は、ずっと見てたよ。

なんで無呼吸なったか、よくわからないです

と言われました(笑)

 

なんと、先生たちも見失っていた。

そして、この子はそこまで

定期的に検査しなくても

いいかもしれないと先生に

言われました。

これは、すごく経過がよいって

意味なんですが、

当時の私は

「やはり検査して見ていかないと

いけない子なんだ」と受け止めます。

まぁ、そういう子なんですが。

 

発達も見ないと全くわからないと

言われ、定期的なフォローに

来いと言われます。

 

その後、生後3ヶ月から

リハビリ行かされたり、

神経科の先生に

「なんでリハビリ行ってんの?

この子は運動は大丈夫かも。

脳の位置からして言葉のほうだよね」って

言われてリハビリ辞めたり、

新生児科の先生に、

「ハイハイ遅い。運動遅め」って

言われたりしました。

 

0歳ときとか、

首座らすのに必死で

何回も首持ち上げたり、

無理矢理ハイハイ練習させたり、

刺激多いところにって

毎日お出かけしたり

とにかく必死でした。

モロー反射とか手を組んだのを

外して何度も遊んでた息子が

痙攣を起こしていると思って

病院に連れて行ったこともありました。

 

そして、1歳2ヶ月の春の日に

この子は、

私の言ってることを理解している

私のことを見ている

と、気づいたとき

さんざん検索しまくった知識から

「あぁ、障害ないかも」と思いました。

 

その後、1歳3ヶ月のときに

言葉がまだって神経科の先生に言ったら

「男の子は言葉遅いけど、

自閉症とかもあるしね」って

言われましたが、

そのとき、息子は

応答の指差しができていて

私は自閉症ではないと思っていたので

全くダメージうけず、

さらっと帰りました。

ダメージなしで帰った

定期検診は本当に初めてでした。

 

そして、2歳なりたての検診で

「もう、4語文とか話してますし、

大小や、色もわかりますよ」って

言ったら

「年齢以上です」と言われ

先生のマークも、

私たちの長かった心配も終わりました。

 

今も運動が本当にできなくて、

もちろん、まだ発達障害とかの

可能性0ってわけではないですが、

生まれたときに言われた、

重大な障害って言う呪縛からは

解放されました。

 

私は息子が元気なら

もう死んでもいいと思いました。

そのことをときどき思い出すのです。

 

もしかしたら、もう死ぬのかもしれない。

だって息子が元気なんだもんって。

 

こういう子は、

親を、選んで生まれてくるって言うけど、

死ぬほど選ばれたくないし、

乗り越えれないしと

神様に大暴れで悪態をついたので、

来世かいつか不幸になるとも

思います

(信心深くないから)

 

似たような病気のBlog読むと

「健康に産んであげられなくて

ごめんね」って書いてる率

高いけど、

私は

「健康に生まれてこれない子は

なぜ生まれてくるのだろう」と

考えて、一度も息子にごめんねって

思っことない。

「ちゃんと生まれてこいよ。

何やねんお前」と思ってばっか。

 

取り繕えないわ。

 

ここまで、なぜ書いたかというと、

3歳になって

最近このときのとこ思い出すこと

ほぼ、なくて忘れているから。

 

3歳なってからおしっこも自分でいけるし

言うことちゃんと聞くし、

(イヤイヤもめちゃくちゃします)

なんだかそんな

大変な思いした子だってこと

忘れそうやなって思ったので。

 

この話、ときどき

病院にだまされた壮大なドッキリって

思うときある。

だってあんだけはっきり障害ありきで言うかなん

でも、感謝しております(やっと)

 

おしまい